歴史

小笠原太鼓は伊豆七島の八丈島の「八丈太鼓」がベースになっています。
その八丈太鼓の歴史は、

慶長11年(1606年)の関ヶ原の戦いで敗れた西軍の将たちの、

八丈島への遠流から始まったと言われています。

剣を取り上げられた流人たちが二本の撥におもいをこめ、

太鼓を叩き始めたのが始まりという説が最も有力です。

 

八丈島では多くの人たちが太鼓を叩き、

島のいたるところで個性ある太鼓が広まり、

個人で太鼓を持っている方もいるそうです。

 

八丈島と小笠原は、古くからとても縁の深い間柄でした。

 

今から150年前の1862年(文久2年)に、

幕府は八丈島から38名の開拓者を小笠原に移住させた事をはじめ、

八丈島から多くの人たちが小笠原に移り住みました。

当然、八丈太鼓も叩かれていたことでしょう。

 

その後、小笠原は、開拓と発展を遂げましたが、

第二次世界大戦がはじまり、

1944年(昭和19年)には青年男子を除き約7000人の島民が

強制疎開をさせられてしまいます。

 

そして

長い戦争が終わり、

昭和43年、小笠原はアメリカから返還され、

島民が少しずつ戻ってきます。

 

娯楽のない島で思いついたのが、

ドラム缶で叩く太鼓でした。

八丈太鼓を思い出し、ドラム缶太鼓を叩いた人たちの中に

軍属として母島に残った佐々木政治氏がいました。

 

佐々木氏はそのころから「小笠原太鼓」という命名を考えていたそうです。

 

母島に戻った佐々木氏は、

仕事の合間に気の合った仲間と太鼓を叩きました。

夕日ヶ丘(現日章建設資材置き場辺り)で

月見をしながら叩いた太鼓が思い出深いそうです。

 

その後、

「小笠原太鼓」を創設した佐々木政治氏は

練習会などを開き、

島民だけでなく、支庁の職員、学校の先生、ドクター、駐在所員と、

本当にたくさんの人に太鼓を教え、

研究、工夫を重ね、

「小笠原太鼓の師匠」として

現在も活躍中です。